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大阪地方裁判所 平成3年(行ウ)59号 判決

原告

奥村宏子

右訴訟代理人弁護士

浦功

畑村悦雄

舩冨光治

藤原修身

被告

地方公務員災害補償基金大阪府支部長

中川和雄

右訴訟代理人弁護士

今泉純一

主文

一  被告が、昭和四九年九月一二日付けでなした原告に対する公務外認定処分を取り消す。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

主文同旨

第二事案の概要

一本件は、地方公務員である原告が、被告に対して行った地方公務員災害補償法に基づく頸肩腕症候群兼腰痛症に関しての公務災害認定請求につき、被告が公務外認定処分をしたので、その取消を求めた事案である。

二争いのない事実等

1  原告は、昭和四四年一一月一七日、大阪府に心理技師として採用された職員であり、昭和四五年四月一日から自閉症児施設である大阪府立中宮病院松心園(以下、松心園という。)に勤務して生活指導員として自閉症児の療育に従事してきた。

2  原告は、松心園において自閉症児の療育に従事中の昭和四五年九月ころから、肩がこり、体全体の疲労感がとれず、さらに同年一〇月ころからは腰痛を感じるようになった。(〈書証番号略〉、原告)

3  原告は、昭和四六年一月二二日、星ヶ丘厚生年金病院整形外科において、本件腰痛に関し、根性腰痛症(以下、第一次疾病という。)と診断されて約一か月の入院加療を指示されたので、同月三〇日から同年三月一四日まで休業した(以下、第一次欠勤という。)。

4  原告は、その後の昭和四六年六月ころから全体疲労と腰痛を感じるようになり、同四七年二月ころからは、腰痛の上に、肩、腕、指先にしびれ感を感じるようになった。(〈書証番号略〉、原告)

5  原告は、昭和四七年三月二二日、関西医科大学において、頸肩腕症候群兼腰痛症と診断され、さらに同月三一日、吉田外科・整形外科医院の吉田正和医師(以下、吉田医師という。)の診察を受けた結果、(筋・神経疲労性)頸肩腕症候群兼根性腰痛症(以下、本件疾病という。)により、約二か月間の休業加療を要すると診断されたので、同年四月一日から昭和四八年二月七日まで休業した(以下、第二次欠勤という。)。

6  原告は、昭和四六年二月二〇日付けで、被告に対し、地方公務員災害補償法に基づき、第一次疾病である根性腰痛症に関して公務災害認定請求(以下、第一次請求という。)をしたところ、昭和四七年一月三一日付けで第一次疾病に関し、公務外の災害との認定を受けた(以下、第一次処分という。)。原告の審査請求に対し、地方公務員災害補償基金大阪支部審査会は、昭和五四年一一月二日付けでこれを棄却し、原告の再審査請求に対しても、地方公務員災害補償基金審査会は、昭五五年三月二八日付けでこれを却下したので第一次処分は確定している。

7  原告は、昭和四七年一一月二〇日付けで、被告に対し、地方公務員災害補償法に基づき、本件疾病である頸肩腕症候群兼根性腰痛症に関し、公務災害認定請求(以下、第二次請求という。)をしたが、被告は、昭和四九年九月一二日付けで公務外認定処分(以下、本件処分という。)をした。原告は、本件処分を不服として昭和四九年一二月六日付けで審査請求をしたが、地方公務員災害補償基金大阪支部審査会は、平成二年三月二九日付けでこれを棄却し、さらに原告は、同年五月二九日付けで地方公務員災害補償基金審査会に対し、再審査請求をしたが、同審査会は、平成三年三月六日付けでこれを棄却した。右裁決は、同年六月一日付けで原告に通知された(〈書証番号略〉、弁論の全趣旨)ので、原告は、同年八月二三日、本訴を提起し、被告の本件処分には右公務起因性を認めなかった点について事実認定の誤りがあり、違法な処分であるとしてその取消を求めている。

三争点

1  第一次処分の確定により不可争力が生じ、本件処分を争うことができないかどうか。

(一) 原告の主張

第一求請求にかかる第一次処分と、第二次請求にかかる本件処分とは、手続的には別個の行政処分であり、不可争力によって争うことができなくなるのは、右効力を生じた行政処分(本件では第一次処分)の効力それ自体であって、同一内容の再申請によって別個の行政処分を求めることは可能であるから、第二次請求を行うことは何ら不可争力に抵触するものではない。それに、本件処分の対象である本件疾病は、第一次処分の対象である第一次疾病とは、時期及び原因事実の異なる別個の疾病であるから、第二次申請は、同一内容の行政処分を求めた再申請ではなく、何ら不可争力に抵触するものではない。

(二) 被告の主張

第一次処分は、地方公務員災害補償基金審査会が原告の再審査請求を却下する旨の裁決をなされたことにより確定し、不可争力が生じたから、第一次処分の対象となった疾病が公務に起因するとして、右疾病を公務外の災害とした認定処分を争うことはできなくなったものである。第一次処分の対象となった疾病は根性腰痛症、本件処分の対象となった疾病は頸肩腕症候群兼根性腰痛症であるけれども、診断名にかかわらず同一の疾病であるから、第一次処分の不可争力は、本件疾病にも及ぶもので、原告は本件処分の違法性を争うことができないものである。

2  原告の本件疾病である頸肩腕症候群兼根性腰痛症には、公務起因性があるかどうか。

(一) 原告の主張

原告の本件疾病は、次の点から考えて公務起因性があることは明白であるから、これを認めなかった本件処分は違法であり、取り消されるべきである。

(1) 原告の従事した作業は、患児と常時視線を合わせるために、敏速な患児の動作に合わせて立ち座りを頻繁に繰り返し、中腰・坐位などの不自然ないし非生理的姿勢を続けなければならず、患児との身体接触を保つために平均で二〇キロ以上もの体重の患児を背負い、抱き上げ、肩車などをしなければならず、したがって、作業姿勢に無理が多く、同一姿勢や同一動作の繰り返しが多く、上肢や腰部に過度の負担を伴うものであり、注意集中や責任も高く、対人接触も多いことから作業疲労の度合いが大きいものである。

また、原告が第一次欠勤後再出勤した昭和四六年三月一五日以降の業務量についても、従前に比して軽減されたことはない。

(2) 頸肩腕障害及び腰痛症の治療は、困難かつ長時間を要するものであって、業務から離れても、一進一退を繰り返し、軽快したようにみえても軽度の作業や気候の変化によっても症状が再燃する。

(3) 松心園においては、同一時期に腰痛症患者が多数発生している(昭和四六年二月一三日の実態調査によると、児童に接触する職員三六名中、二二名が腰痛症と診断されている。)。

(4) 重症心身障害児や肢体不自由児の類似施設や同一施設において、保母、看護婦、教師などに原告と同一症状の疾病が多発している。

(二) 被告の主張

頸肩腕症候群及び非災害性腰痛症における公務起因性については、労働省と同趣旨のいわゆる認定基準を被告において定めているが、これによると、頸肩腕症候群は作業態様に起因する疾病に分類され、動的筋労作あるいは静的筋労作と呼ばれる上肢に過度の負担のかかる作業に従事する職種に起こる疾病として規定されており、非災害性の腰痛は、作業態様に起因する疾病に分類されており、腰部に過度の負担のかかる業務により発症する疾病として規定されている。原告の従事した職務内容は、長時間にわたり、一定の姿勢を強制し、一定の位置に固定するものではなく、比較的断続的作業であって、動的筋労作を主とする色々な作業態様が混じり合った混合作業であって、第一次欠勤までの間に十分な休暇を取得していることをも考慮すると、認定基準による上肢や腰部に過度の負担のかかる業務とはいえない。

また、原告の昭和四六年三月一五日以降の業務は、従前業務量と比較して非常に軽減されたものであり、他の同僚と比較してもその業務量は非常に少なく、第二次欠勤までの間に十分な休暇を取得していることをも考慮すると、原告の業務が本件疾病を発症させる相対的に有力な原因になったものとはいえないし、第一次処分の対象となった疾病がその自然的経過を越えて増悪したものとはいえない。

なお、頸肩腕症候群に関しては、日本産業衛生学会による見解もあるけれども、整形外科的立場との間に論争があるし、到底定説とはいえず、この見解によって公務起因性を判断することは妥当ではなく、現時点での医学的常識に即して確立されたいわゆる認定基準によって判断するのが相当である。

さらに、腰痛症に関しては、原告は根性腰痛症と診断され、従前ラセグ徴候が見られたようであるが、ラセグ徴候がないことが職業性腰痛症の特徴とされており、このことからも、原告の腰痛症について公務起因性があるとするには疑問がある。

第三争点に対する判断

一争点1(不可争力の有無)について

被告は、前記第一次処分が確定したことにより、いわゆる不可争力が生じ、本件処分の対象たる本件疾病に関してもその効力が及び、本件処分の事実認定の違法性を争うことはできない旨主張する。

しかしながら、確定した行政処分の不可争力は、民事訴訟における既判力とは異なって、確定した当該処分自体を争うことができないとの効力に過ぎず、他の行政処分にまで効果が及ぶものではないと解すべきである(この点は、処分の対象が同一のものであっても、改めて当該処分を求め得る以上変りはない。)ところ、本件処分は、第一次処分とは別個の行政処分であるから、第一次処分が確定したとしてもその効果は本件処分に及ぶものではない。

したがって、本件処分については別個に独立してその効力を争うことができると解すべきであり、被告の右主張は採用できない。

二争点2(本件疾病の公務起因性の有無)について

1  本件疾病に公務起因性があるとされるためには、公務と本件疾病との間に相当因果関係があることが必要であると解され、疾病の発症について公務を含む複数の原因が競合する場合は公務が相対的に有力な発症原因であることを要すると解すべきである。そこで、この観点から本件疾病の公務起因性について検討する。

2  証拠(〈書証番号略〉、証人中桐伸五、原告、弁論の全趣旨)によれば、次の事実が認められる。

(一) 施設の概要

松心園は、いわゆる自閉症児を収容又は通所させ、医学的管理の下で必要な教育を行うため、収容四〇人、通所四〇人(在籍一二〇人)の計画で開設されたものである。

その療育内容は、精神科の医師が一般的な診察を行うほか、自閉症児の特殊性に鑑み、心理指導及び生活指導等を実施すると共に、母親等の保護者に対しても必要な指導を行うものである。

松心園は、府立中宮病院敷地内に建設された鉄筋コンクリート造り地上三階建(一部平屋建)の建物であるが、傾斜地に建てられているため、全体としてみれば、変則五階建となっており、階段があるだけで、エレベーターはない。

松心園の職員は、医師五名、ケースワーカー六名、生活指導員八名(内二名は心理判定員)、看護婦一二名、保母一四名、病棟婦二名である。

外来患児の昭和四六年二月二日初診児までの身体的状況は、年齢が三才から一一才まで、体重は一三キロから三五キロまで(平均は二〇キロ強)であった。

(二) 業務内容

原告ら生活指導員は、主に外来患児の行動観察、遊戯療法の実施等を担当しており、勤務時間は、平日は九時から一七時一五分まで、土曜日は一二時三〇分までとなっていた。

遊戯療法とは、患児とプレイするなどして接触し、その行動を観察分析することによって、集団生活に適合するよう治療することを目的とするものであり、自閉症児の治療方法となっていたことから生活指導員の主たる業務内容となっていた。

生活指導員の業務内容は次のとおりである。

(1) 個人遊戯療法

ぐるぐる回し、トランポリン、だっこ、だきあげなどであり、患児と担当職員が一対一で行うもので、一回の時間は一時間程度である。

(2) 集団遊戯療法

マットを使った身体運動、レコード等によるリズム運動、トランポリン、すべり台等の自由遊びなどであり、複数の患児に対し複数の職員で行う。「木曜グループ」は、四ないし七名の患児に対し、三ないし七名の職員で約一時間ないし一時間半程度行う。「Bグループ」は、八名の患児に対し、四名の職員で約二時間半ないし三時間半程度行う。

(3) 行動観察

外来初診児の自閉症状の程度を観察するもので、三〇分程度患児を観察・テストして記録を作成する。

(4) カンファレンス、記録等

(三) 生活指導員の業務の実態

松心園の開設当初の遊戯療法においては、何よりも患児と視線を合わせることが必要であるとされ、生活指導員はそのため、敏速な患児の動作にあわせて立ち座りを頻繁に繰り返し、中腰又は座位などの無理な姿勢を続けなければならず、また、身体的接触を保つことが必要であるとされたため、可能な限り患児(前記のとおり平均体重が二〇キロを越え、中には体重が三〇キロを越える患児もいる。)を背負い、抱き上げ、肩車などをしなければならず、その際、患児が急に暴れ出し、あるいは後ろにのけぞる等不自然な姿勢をすることもあった。さらに、患児を背負ったり、抱いたりしながらトランポリン、ブランコ、追い掛けっこ、すべり台等の遊戯をすることもあり、その間に生活指導員は中腰姿勢などの不自然な作業姿勢を続けなければならなかった。

遊戯療法は、本館二階の遊戯室、治療室、外のグラウンドで実施することになっていたが、かなりの患児が屋外での遊戯を要求するため、必然的に松心園全体はもとより、中宮病院、時には付近の児童公園などで遊戯しなければならず、その際患児を背負ったり、抱いたりしながら、階段を昇降し、長時間歩くこともあった。また、中宮病院前の道路は交通が頻繁なため、生活指導員の精神的緊張感は極度に加重された。さらに、松心園の廊下の各所に重量のある施錠された鉄扉などが設置され、その鍵穴が通常より低い位置にあるために、生活指導員は患児を背負ったままで前かがみの状態で鉄扉などを開閉せざるを得なかった。

生活指導員は、遊戯療法に付随して、その都度、遊具庫から、二、三回にわたり玩具を運搬して患児の目につきやすいところに配置するなど部屋の準備をし、遊戯療法の後に玩具を遊具庫に戻し、汚れた白板、床の清掃などの後片付けをし、さらに遊戯療法の行動観察の記録を作成した。右記録作成には遊戯療法と同等の時間を要し、夜遅くまでかかることもあった。遊戯療法は、一人一時間を要する予定のところ、計画どおりゆかず、生活指導員は、一二時二〇分から一三時二〇分までの昼休みを充分にとれないこともあった。

生活指導員は、右業務のほか月一回程度の心理テスト、週一回に一、二名の初診患児の行動観察を行うが、右初診患児行動観察は初診患児の行動を三〇分程度観察、テストして記録を作成するものであるところ、初めての患児であるため、精神的緊張度は高く、一緒に遊戯することもあった。

右のほか、隔週一回三時間程度の全体会議、チーム室会議、毎週二回二時間程度のケースカンファレンス、毎週一回三時間程度の心理研究会などがあり、右会議などの報告担当者にあたるとその資料作成にかなりの時間を要し、夜中までかかることもあった。

(四) 原告の勤務状況

原告は、昭和四五年七月一日以降、第一次欠勤前までの間、右(三)のとおりの業務を担当したが、その間の遊戯療法の延べ件数は合計一一九件で、個人遊戯療法が昭和四五年八月一二件、九月一八件、一〇月二一件、一一月二三件、一二月一九件、昭和四六年一月八件、集団遊戯療法のうち原告が患児の一名を担当する木曜グループが、昭和四五年八月二件、九月四件、一〇、一一月各四件、一二月二件、昭和四六年一月一件であり、一日三件の遊戯療法を行った日もあった。遊戯療法は、平日に行われ、原告は、平日一日あたり一件余りの遊戯療法を行ったものであり、他の生活指導員もほぼ同程度の業務を担当していた。原告がこの間に遊戯療法を担当した患児は、三才から一〇才までで、体重は一五キロから三五キロ位まで、平均は二〇キロ以上であった。また、原告は、この間、年次休暇を15.5日、特別休暇を一一日(実質は一〇日)取得した。

原告は、昭和四六年三月一五日から第二次欠勤前までの間に、木曜グループ一件のほか、昭和四六年七月まで週一件の個人遊戯療法、昭和四六年七月九日から昭和四七年三月二一日(ただし、同月一七日は不参加)まで週二回患児八名に対し担当職員四名で行うBグループの集団遊戯療法(昭和四六年一〇月二九日までは昼食を含め九時から一三時まで、それ以降は九時から一五時三〇分まで)、昭和四六年一一月ころからは週一件の個人遊戯療法をそれぞれ行った。この間に原告が行った遊戯療法は、他の生活指導員と比較すると少ないものであった。原告は、この間、年次休暇を17.5日、特別休暇を17.5日取得した。

原告は、第二次欠勤中の昭和四七年六、七月、一〇、一一月に通算して二八日間出勤したが、一日を除きいずれも早退か土曜日出勤であり、遊戯療法は行わずに電話番程度の作業に従事した。

原告は、昭和四八年二月八日から出勤し、同四九年九月一〇日までは半日勤務、同五〇年五月三一日までは午後三時までの勤務、翌一日以降は平常勤務で主として電話番、事務用品の請求事務などの軽作業に従事したが、同年五月ころからは週一回の初診行動観察に、昭和五一年五月ころからは週一回の集団遊戯療法にも参加した。

(五) 原告の症状、治療経過

原告は、大阪府に採用されるまでは、特記すべき既往症はなく、おおむね健康であった。原告は、昭和四五年九月ころから肩がこり、体全体の疲労感が取れず、同年一〇月ころには腰痛を感じるようになり、患児と遊戯した翌日には疲労感、腰痛、腕のだるさ、肩こり感が増大し、昭和四六年一月頃まで右症状が悪化の一途をたどった。

原告は、前記のとおり星ヶ丘厚生年金病院において診察を受け、第一次欠勤の間の昭和四六年一月三〇日から二月二五日までは入院治療を、三月一四日までは自宅で静養しながらの通院治療をそれぞれ受けた。

原告は、右治療により、症状がある程度軽快したため、同月一五日から出勤したが、同年六月ころには体全体の疲労感も残り、腰痛をも感じるようになったので、同月二六日に松心園で実施された健康診断を受けたところ、担当医師からは異常なしと診断されたが、そのころから鍼灸治療、腰痛の予防体操を続けるなどしたこともあって、同年秋ころまでは一進一退の状態が続いた。しかし、同年一二月ころから寒さが厳しくなるにつれて、原告の症状は急激に悪化し、鍼灸医院で順番を待っているのも耐えられないほどの状態になり、毎朝腰痛で目が覚め、寒い朝方にはエビ状でしか就寝できないような状態が続き、昭和四七年二月に入ると、寝付きも悪くなり腰痛のために一晩中眠れないときもあり、さらに、肩、腕、指先にもしびれ感があり、手に持っている物を落としたり、手が震えて字も書けない状態となった。

原告は、前記のとおり、関西医科大学及び吉田医院において診察を受けたが、吉田医師は問診、打診、触診、神経テスト、血液検査、レントゲン検査(首、頸椎)などを実施した結果、頸肩腕部、腰部、背部、手指に圧痛が認められ、筋肉が硬化し、腰髄神経根症状があり、全身的に疲労度が高かったため、勤務を継続すると症状を悪化させるものと判断し、前記診断を下した。

なお、本件疾病の根性腰痛症が、第一次疾病が悪化したものかあるいは再発したものかは明らかではない。

原告は、昭和四七年四月一日から欠勤して吉田医院、星ヶ丘厚生年金病院で物療・理学療法(温熱療法、牽引療法)、痛み止めの注射、内服薬の投与、腰痛の予防体操の指導などを受けたり、同年一一月から昭和四八年一月ころまでは郷里の鳥取県に帰って温泉病院に通院して治療を続け、その結果、同年二月初めには筋肉の圧痛、硬化が減少し、全身の痛みも相当減少した。

原告は、同月八日から再び出勤し、ほぼ毎月一回吉田医師の診察を受け、症状はしだいに軽減していったが、それでも雨の降る前や体力以上に動いた翌日ころには腰痛が戻り、朝目が覚めにくく、目覚めても起き上がるのに苦労する状態が続いた。昭和四九年九月一一日の吉田医師の診察時には、原告の症状はかなり軽減し、午後三時までの勤務が許されるようになった。原告は、その後昭和五〇年五月二八日までは吉田医師の診察を受けることがなく、右同日には同医師から経過良好で平常勤務で良いと診断された。同年九月一三日には、同医師から隔日母子一組位なら扱って良いとの診断を受けた。その後、原告には症状の再発はない。

(六) 松心園における職員の状況等

松心園では、昭和四五年一〇月に保母一名が腰痛症と診断されて星ヶ丘厚生年金病院に入院し、引き続き腰痛を訴える者が続出して、昭和四六年二月一三日には、生活指導員六名、看護婦五名、保母一一名、病棟婦二名の合計二四名が腰痛を訴え、内二二名が腰痛症と診断された。右二四名の内七名(生活指導員三名、保母三名、病棟婦一名)のみが職場から離れることなく通院治療を受け、残り一七名は一か月ないし三か月の年休、病欠をとらざるを得ず、入院治療を受けた。松心園開設後一年余りで八名(看護婦三名、保母五名)が退職し、そのうち七名が年休又は病欠のまま退職している。

松心園では、右腰痛症患者の多発を契機として、昭和四六年二月二〇日ころに、患児の要求をできる限り受容した患児との接触を中心とする従来の療育方針を変更し、なるべく個人遊戯療法を少なくし、集団生活のできる患児については集団遊戯療法を行うこととし、しかも、その際はおんぶ、だっこ、肩車などはなるべく避け、トランポリンの使用を禁止する措置をとった。

また、松心園においては、開園後数か月の間に生活指導員・保母・看護婦ら三六人中一七人が首から肩にかけての痛みやだるさを訴えている。

なお、松心園と同一又は類似の施設である重症心身障害児施設、肢体不自由児の特殊学級の保母、看護婦などに原告と同一症状の疾病が多発している。

(七) 労働省労働基準局長の通達等による認定基準

(1) 頸肩腕症候群について

労働省労働基準局長は、頸肩腕症候群について、昭和五〇年二月五日付けで「キーパンチャー等上肢作業にもとづく疾病の業務上外の認定基準について」と題する通達(基発第五九号)を発した。右通達とその解説によれば、頸肩腕症候群とは、種々の機序により、後頭部、頸部、肩甲帯、上腕、前腕、手及び指のいずれかあるいは全体にわたり、こり、しびれ、痛みなどの不快感をおぼえ、他覚的には当該部諸筋の病的な圧痛及び緊張もしくは硬結を認め、時には神経、血管系を介しての頭部、頸部、背部、上肢における異常感、脱力、血行不全などの症状をも伴うことのある症状群であると定義され、それが業務上の疾病であると認定すべき基準として、①上肢の動的筋労作又は上肢の静的筋労作を主とする業務に相当期間(一般的には六か月程度以上)継続して従事した労働者であること(上肢の動的筋労作とは、カードせん孔機・会計機の操作、電話交換の業務、速記の業務のように、主として手、指の繰り返し作業を、静的筋労作とは、ベルトコンベヤーを使用して行う調整、検査作業のように、ほぼ持続的に主として上肢を前方あるいは側方拳上位に空間に保持するとか、顕微鏡使用による作業のように頸部前屈など一定の頭位保持を必要とするような作業をいい、手、指を繰り返し使用しているかは問われないとされる。)、②業務量が同職の他の労働者と比較して過重である場合(同一企業内の同性の労働者であって作業態様、年齢及び熟練度が同程度の者もしくは他の企業の同種の労働者と比較して、おおむね一〇パーセント以上業務量が増加し、その状態が発症直前三か月程度にわたる場合には、過重と判断される。)又は業務量に大きな波のあること(発症直前三か月程度継続して、業務量が一か月平均では通常でも、一日の業務量が通常のおおむね二〇パーセント以上増加し、その状態が一か月のうち一〇日程度認められ、又は業務量が一日平均では通常でも、一日の労働時間の三分の一程度業務量が通常の二〇パーセント以上増加し、その状態が一か月のうち一〇日程度認められるときは大きな波があると認められるとされる。)、③右の頸肩腕症候群の症状を呈すること、④その症状が、鑑別診断によっても、当該業務以外の原因(外傷及び先天性の奇形による場合、関節リウマチ及びその類似疾病等八項目などの疾病による場合)によるものでないと認められること、⑤当該業務の継続によりその症状が持続するか又は増悪の傾向を示すこと、を掲げ、頸肩腕症候群は適切な療養を行えば、おおむね三か月程度でその症状は消滅すると考えられるから、三か月以上を経過してもなお順調に症状が軽快しない場合には、他の疾病を疑う必要があるとし、病状の判断にあたっては専門医による詳細に把握された症状及び所見を主に行うとされている。

業務に起因する本疾病の発症機序は医学的に必ずしも明らかにされていないが、一般に一定の作業姿勢を持続し、身体の主として上肢のみを過度に使用する労働者に頻発し、上肢とともに躯幹や下肢も同時に使用する労働者(建設、鉱山、農業などの重筋労働者)の症例は極めて少ないことから、非生理的な身体の部分的筋労作により局所に疲労の蓄積が生じ、これが病的状態に進行して発症すると考えられている。また、認定基準に合致しない作業態様からの本疾病の発症を全く否定するものではなく、ケース・バイ・ケースで業務起因性を判断することになる。特に、重症身体障害児施設や保育所の保母などの頸肩腕症候群については医学的にその発症の機序・病態などが未解明であるので、右認定基準の中に含めることは困難であったので、各々の保母の業務の特異性、労働負荷の実態に応じて個別的に判断されることになった。

地方公務員についても、地方公務員災害補償基金理事長が発した通知として、昭和四五年三月六日付け「キーパンチャー等の上肢作業に基づく疾病の取扱いについて」(地基補第一二三号、同四八年改正・同第五四三号、同五〇年改正・同第一九一号、同五三年改正・同第五八七号)が、地方公務員災害補償基金補償課長が発した通知として昭和五〇年三月三一日付けのその実施要領(地基補第一九二号)がそれぞれあり、労働省労働基準局長によるものと同趣旨の認定基準を定めている(以上を合わせて、頸肩腕認定基準という。)。

(2) 非災害性の腰痛症について

労働省労働基準局長は、災害性の原因によらない腰痛について、昭和五一年一〇月一六日付けで「業務上腰痛の認定基準等について」と題する通達(基発第七五〇号)を発した。右通達とその解説によれば、災害性の原因によらない腰痛について、重量物を取り扱う業務等腰部に過度の負担のかかる業務に従事する労働者に腰痛が発生した場合で、当該労働者の作業態様、従事期間及び身体的条件からみて、当該腰痛が業務に起因して発症したものと認められ、かつ、医学上療養を必要とするものについては、労働基準法施行規則別表第一の二、第三号2に該当する疾病として取り扱うものとし、腰部に過度の負担のかかる業務として、①おおむね二〇キログラム程度以上の重量物又は軽重不同の物を繰り返し中腰で取り扱う業務、②腰部にとって極めて不自然ないし非生理的な姿勢で毎日数時間程度行う業務、③長時間にわたって腰部の伸展を行うことのできない同一作業姿勢を持続して行う業務、④腰部に著しく粗大な振動を受ける作業を継続して行う業務を掲げ、業務上外の認定にあたっては、症状の内容及び経過、作業状態、当該労働者の身体的条件、素因又は基礎疾患、作業従事歴、従事期間等認定上の客観的な条件の把握に務めるとともに必要な場合は専門医の意見を聴く等の方法により認定の適正を図ることとされている。なお、業務上の腰痛がいったん治癒した後、他に明らかな原因がなく再び症状が発現し療養を要すると認められるものについては、業務上の腰痛の再発として取り扱うとされている。右腰痛を発症させる主な業務としては、右①の例としては港湾荷役、右②の例としては配電工(柱上作業)、右①及び②の複合の例としては重度身体障害者施設の保母、大工、左官、右③の例としては長距離トラックの運転手、右④の例としては車両系建設用機械の運転があげられる。

地方公務員についても、地方公務員災害補償基金理事長が発した通知として、昭和五二年二月一四日付け「腰痛の公務上外の認定について」(地基補第六七号、同五二年改正・地基企第三六号、同五三年改正・地基補第五八七号)が、地方公務員災害補償基金補償課長が発した通知として、昭和五二年二月一四日付けのその実施要領(地基補第六八号、同五三年改正・同第五八九号)がそれぞれあり、労働省労働基準局長によるものと同趣旨の認定基準を定めている(以上を合わせて、腰痛認定基準という。)。

職業起因性のある腰痛症・頸肩腕症候群に関しては、いまだ解明されていない点が多々あり、定説が確立されておらず、今までの通説的見解を集大成して職業起因性のあることが明確である場合をまとめて定型化したのが前記各認定基準であって、認定基準にあてはまらなくても個別に相当因果関係を検討して職業起因性が認められる場合がありうるのである。

(八) 日本産業衛生学会の立場

日本産業衛生学会は、頸肩腕症候群を、業務による障害を対象とする、すなわち、上肢を同一肢位に保持又は反復作用する作業により神経・筋疲労を生ずる結果起こる機能的あるいは器質的障害である、と定義し、病像形成に精神的因子及び環境因子の関与も無視しえない、したがって、本障害には従来の成書にみられる疾患も含まれるが、大半は従来の尺度では判断しがたい性質のものであり、新たな観点に立った診断基準が必要である、とし、その病像の進展をⅠ度からⅤ度に分類している。これによると、Ⅰ度 必ずしも頸肩腕に限定されない自覚症状が主で、顕著な他覚的所見が認められない、Ⅱ度 これに筋硬結・筋圧痛などの所見が加わる、Ⅲ度 Ⅱ度の病状に加え、筋の緊張・熱感など八項目の所見の幾つかが加わるものとされている。

同学会の立場では、腰痛症の職業起因性について、①その仕事に就労する以前に腰痛経験がなく、就労後に初めて経験した、②同一職場、同一職種で同様の腰痛が多発している、③職場での対策、たとえば労働条件・職場環境の改善とか休職・職場転換によって症状が解消した、などの点を検討すべきであるとする。

なお、同学会の立場は、職業起因性のある腰痛症・頸肩腕症候群に関しては、整形外科的立場に立つ者とは見解を異にするものであり、有力な見解とはいえ定説とはいえない。

(九) 吉田医師の所見

昭和四七年三月三一日から原告の診察、治療にあたった吉田医師は、業務に起因する頸肩腕症候群、疲労性腰痛症について専門的に研究を行い、あるいは、実際に治療を行った経験のある医師であり、原告の症状は、問診、触診、レントゲン検査などの諸検査の結果からみて頸肩腕症候群兼疲労性腰痛症であって、頸肩腕症候群は前記日本産業衛生学会頸肩腕症候群委員会による病像の分類のⅡ度(Ⅰ度の症状である必ずしも頸肩腕に限定されない自覚症状が主で、顕著な他覚的所見が認められないことに筋硬結・筋圧痛などの所見が加わったもの)にあたるものであり、頸肩腕症候群の治療は非常に困難であり、軽症のうちに治療すれば完治するが、ある程度以上に症状が進行して慢性化してから治療する場合には相当長期間にわたる場合もあるので、治療に要する期間は頸肩腕症候群の判定において重要視すべきではないとし、また、原告の場合は、非災害性の疲労性腰痛症であり、生理的限界を越えて仕事につき疲労が蓄積されることにより発症するものであり、原告には右症状を起こさせる基礎疾患はなく、原告の作業歴等からみて、原告の疾病が業務に起因するものであることは明らかであると診断している。

(一〇) 中桐医師の意見

中桐医師は、日本産業衛生学会に所属し、職業性腰痛・頸肩腕症候群の研究等に取り組んできた医師である。同医師は、原告の頸肩腕症候群に関しては、第一次疾病を診断された第一次欠勤時点においては、すでに肩こりの症状が発症しており、頸肩腕症候群の前記分類のⅠ度にあたるものであり、本件疾病を診断された昭和四七年三月当時においては、Ⅲ度に近いⅡ度の段階に症状が悪化していたものであり、①松心園の開設と同時に原告は自閉症児の療育に従事するようになって初めて腰痛及び頸肩腕症候群を発症していること、②同一職場に同様の腰痛や肩こりを訴える者が多発していること、③昭和四六年一月三〇日から三月一四日までの休業治療によって腰痛及び肩こりの症状が軽快したことから考えて、本件疾病との間には公務起因性が認められると判断している。

また、同医師は、原告の腰痛に関しては、第一次疾病である根性腰痛症は右①ないし③の観点から考えて公務起因性があるとし、本件疾病である根性腰痛症は、第一次疾病が第一次欠勤を経て症状が軽くなったことを治癒したと見て、その後の本件疾病はこれが再発したと見るか、第一次欠勤によりある程度症状が収まって治療を要する程の腰痛ではなくなったが、その後症状が悪化したものと見るかいずれとも断定できないが、腰痛症は再発する頻度が高いこと、腰痛を慢性化させないためには十分な作業軽減措置を図るなどの防止措置が必要であるがこれがなされたとは言いがたいこと、原告の第一次欠勤後の労働負荷などを考慮すると、いずれにしても本件疾病には公務起因性があると考えられる。また、原告の根性腰痛症は、椎間板ヘルニアに罹った形跡がないことから、梨状筋症候群としてのものであり、ラセグ徴候があることと矛盾しない、とする。

3  以上の事実を前提にして、原告の本件疾病の公務起因性の有無について検討する。

(一) 頸肩腕症候群について

まず、本件疾病が頸肩腕認定基準に合致するかどうかを検討する。

前記の原告の症状経過からすると、頸肩腕症候群の症状を呈していると認めることができる。しかし、原告は、後記のように上肢の動的及び静的筋労作をも伴う業務に就いていたということはできるが、これを主とするものではなく、種々の作業態様の混じった混合作業である点、そして、第一次欠勤後作業が軽減されていることなど業務が他の同僚・同種労働者と比較して明らかに過重であるとまではいえない点、遊戯療法に従事した件数が毎月一定していたわけではないが、認定基準にいうところの業務量に大きな波があるとはいえない点、第二次欠勤以降治療に三か月間を越える長期間を要している点からみると、頸肩腕認定基準にはそのままあてはまらないと考えられる。

しかし、頸肩腕認定基準に合致しない場合であっても、前記のとおり個別的に検討して本件疾病につき公務起因性が認められる場合があるのでこれを検討する。

前記認定事実によれば、原告ら生活指導員は、遊戯療法を実施して患児を背負ったり抱き上げたり肩車をしたり患児に常時視線を合わせるために中腰・座位の姿勢を取る際に静的筋労作を伴い、あるいは筆記作業に従事する際など動的筋労作を伴うなど頸肩腕症候群を発症しやすいとされる上肢の非生理的な筋労作を行う作業にかなりの程度従事しており、開園当初は慣れない業務につく精神的緊張もかなり伴うなど、前記認定の業務内容からすると松心園における生活指導員の業務自体過重性がかなりの程度あったと認めることができ、第一次欠勤後当初は業務が軽減されていたものの、その後昭和四六年七月以降は再び業務量が増加しており、原告が相当の長期間業務に従事することにより局所に疲労が蓄積されてきたと考えることができること、第二次欠勤以降治療に三か月間を越える長期間を要しているけれども、頸肩腕認定基準で適切な療養を行えばおおむね三か月程度で症状が消滅するとされるのはあくまでも目安に過ぎないし、原告には他の疾病の疑いも特になかったこと、原告は、松心園で生活指導員の業務に従事してから初めて頸肩腕症候群を発症したものであること、業務の継続によって症状が増悪し、第二次欠勤によって業務を離れると症状が軽くなっていることから、時期的に業務と症状との間に相関関係が認められること、松心園と同種あるいは類似の施設において頸肩腕症候群が多発していること、頸肩腕症候群を専門とする吉田・中桐両医師が原告の頸肩腕症候群の公務起因性を肯定していることを総合して考えれば、本件疾病と公務との間には関連性が認められる。

そして、原告には頸肩腕症候群を発症させる有力な原因が他には特に見当たらないことを合わせて考えると、原告の従事した業務が本件疾病の相対的に有力な原因であると認めることができ、本件疾病である頸肩腕症候群に公務起因性を認めるのが相当である。

(二) 腰痛症について

前記認定事実によるも、本件疾病が第一次疾病が治癒せずに悪化したものであるか、第一次疾病が一旦治癒し、本件疾病がその再発であるときであるかは明らかではない。前者であるときは、本件疾病の公務起因性を、後者であるときは、まず第一次疾病の公務起因性を検討すべきことになる。また、前記のとおり第一次処分で問題となった第一次疾病の公務起因性を本件処分の取消訴訟において判断することは不可争力によって妨げられるものではない。

そこでまず、本件疾病ないしは第一次疾病が腰痛認定基準に合致するかどうか検討する。

原告の従事した遊戯療法は、前記腰痛認定基準①のおおむね二〇キログラム以上の重量物又は軽重不同の物を繰り返し中腰で取り扱う業務と、②の腰部にとって極めて不自然ないしは非生理的な姿勢で毎日数時間程度行う業務の複合した形態にあたるものと認められるが、原告の従事した業務の一部に過ぎないものであり、原告は、他に一般事務などの業務に就いているので、右認定基準では前記の例示のように業務の大半を右態様で過ごしたことが必要であると解されることからすると、原告の従事した業務は認定基準にはそのまま合致しないといわざるを得ない。

しかし、認定基準に直ちにあてはまらない場合であっても、個別に検討して公務と発症との間に相当因果関係があれば公務起因性が認められるのであるから、次に個別的検討をする。

原告は、業務の一部とはいえ、第一次疾病の発症までの間おおむね一日一時間以上腰痛症を起こしやすいとされる前記腰痛認定基準の①ないし②に該当する業務に従事したこと、右業務は全体の業務の一部とはいっても前記のとおり精神的緊張もかなり伴い肉体的にも重労働であり、業務自体の過重性も相当程度認めることができること、原告は、松心園において右業務に就いて初めて腰痛症に罹り、第一次欠勤による休業治療により症状が軽快し、その後業務量が一旦は軽減されたものの、昭和四六年七月以降は業務量は再び増加しており、腰痛の症状が再び出てきて次第に悪化したが、第二次欠勤などの休業療養によって症状が次第に鎮静化しており、右経過によれば業務に従事したことと腰痛症の発症に時期的な関連性が認められること、原告の勤務する松心園において多数の腰痛症患者が発生していること、松心園と同種あるいは類似の施設において多数の腰痛症が多発していること、吉田・中桐医師の両名は原告の腰痛症について公務起因性を肯定していること、職業起因性のある腰痛症にもラセグ徴候が見られる場合があることから、本件においてラセグ徴候が生じても公務起因性があることとは矛盾はしないことを総合すると、本件疾病ないし第一次疾病と公務との間に関連性を認めることができる。

そして、原告には他に有力な発症原因が見当たらないことを合わせて考えると、原告が従事した業務が相対的に有力な発症原因であると認められ、本件疾病ないしは第一次疾病である根性腰痛症の公務起因性を認めることができる。

そして、前記のとおり、第一次欠勤後、業務量が一旦は軽減されたものの、昭和四六年七月以降は業務量は再び増加しており、腰痛の症状が再び出てきて次第に悪化したが、第二次欠勤などの休業療養によって症状が次第に鎮静化していること、その間、本件公務の外に有力な腰痛症の発症原因が特に考えられないこと、腰痛症は再発ないし慢性化しやすいのにこれを防ぐ十分な作業軽減策が採られていたわけではないことを考えると、本件疾病である根性腰痛症は、第一次疾病である根性腰痛症が治癒しないままに悪化したものか、一旦治癒した場合であっても、これが再発したものと認めるのが相当である。

三そうすると、原告の本件疾病である頸肩腕症候群兼根性腰痛症には公務起因性があると認めることができ、右公務起因性を認めなかった被告の本件処分には事実認定の誤りがあり、違法な処分であると認められるのでこれを取り消すべきである。

(裁判長裁判官松山恒昭 裁判官黒津英明 裁判官太田敬司)

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